12月6日(土)~7日(日)、老師から、
「サムスカーラ1」を伝授されたサムスカリスト達。
これからが楽しみです。
11月8日(土)~10(月)と、
老師の山瞑想4「悟りのコース」に行ってきました。
今年4月26日~29日に一度参加しているので、
今回は、2度目の参加でしたが、
大筋は同じでも、参加者などによって展開が変わるので、
また理解が深まって、とても素晴らしかったです。
4月に参加した時は、私はエネルギー的に最低の状態でしたが、
そこから、徐々に立ち直り、エネルギーが戻って来ました。
今は、「ゆだねる」ことが、少しずつ出来るようになり、
「幸せだなあ」としみじみと感じることが多くなりました。
ありがたいことです。
☆EOS5DMⅡ+CANON MACRO LENS EF100mm F2.8L IS USM
(「アオジ」~スズメと同じ位の大きさの野鳥です。)
4月26日(土)~29日(火)の4日間、
老師の「山瞑想Part4・悟りのコース」に参加してきました。
老師に出会ったのは、2007年5月でした。
2008年7月12日~13日に「山瞑想Part1」、
2008年11月29日~30日に「山瞑想Part2」、
2008年12月6日~7日に「山瞑想Part3」を受けたにも関わらず、
その時は、まだ良く分かっていなかったために、
2009年~2011年の3年ほど離れていました。
2012年5月から、また老師の瞑想会に参加するようになり、
2014年1月~3月にかけて、「山瞑想Part1~3」をもう一度受け直し、
4月の「山瞑想Part4」を心待ちにしていました。
2004年から10年近く某ヒーラーに指導を受けていたけれど、
苦しくなるばかりだったのは、「自分」を何とかしようとしていたからでした。
「大悟」している老師は、
悟っていない某ヒーラーとは、全く次元が異なっています。
「自分」は、身体でも、心でもない。
「自分」=「考え」であり、分離しているから、
「自分」がある限り、何処まで行っても、苦しい。
「自分」=考えであり、ただの影なのに、
これを自己と思い込んでいるから、始末が悪い。
では、どうするか…
理屈だけでは、説明出来ないので、これ以上書かないけれど、
「悟り」を知りたい方は、実際に老師が主宰する「山瞑想」に参加して、
体験してください。
私は、「山瞑想Part1~4」に参加して、
どうして苦しかったのか、その苦しみから自由になるためにはどうするか、
漸く分かりました。
これから、生きて行く中で、より理解が深まって、
どんどん自由自在になって行くのが楽しみです。
********************
以下は、
「 I AM THAT 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話」
からの抜粋です。
探究者とは自分自身を探している人だ
「私は誰か?」以外のすべての質問を放棄しなさい
結局、あなたが確信できる唯一の事実とは
あなたは在るということだけだ
「私は在る」は確かだ
「私はこれだ」は確かではない
真実のあなたとは何なのか
それを見いだすために努めなさい
あなたが何なのかを知るために
あなたが何ではないかを知りなさい
あなたではないものすべてを発見しなさい
身体、感情、思考、時間、空間、あれやこれ…
具象であれ、抽象であれ
あなたが知覚できるものはあなたではない
知覚するという行為そのものが
あなたの知覚するものが
あなたではないことを示している
マインドのレベルにおいては、
あなたは否定的言語によってしか描写できない
ということをより明確に理解するほど
あなたの探求はより早く終焉を迎える
そして、あなたが無限の存在であることを悟るのだ
シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ
*上記の本の他、
クリシュナムルティーの「自我の終焉」や、「子供たちとの対話」なども、
老師のお勧めの本です。
*日本にも、道元、良寛、一休、井上義衍老師などの悟りの先達が沢山いますので、
これから、それらの本も読んで行きたいと思います。
★山瞑想会の夕食は、豪快、簡単、そして旨い!
料理酒を燃やしてアルコールを飛ばし、
ブツ切りの葱、塩コショウしたバラ肉を交互に入れて煮る。
11月29日(土)~30日(日)の山瞑想会のPart2でのこと
黙想の幾つ目かのお題は、
「これを失ったら生きて行けないと思うものを書き出す」
自信
自分に対する信頼
無条件の自分の存在価値
自分の人生に対する情熱
その後、いくつかのテーマについて、黙想し、
「これを失ったら生きて行けないと思うものを、『捨てた』と書き出す」
始めは、そんなことできないと思った。
でも、書いているうちに、どんどん出てくる。
自信を捨てた
自分に対する信頼を捨てた
自分の価値に固執することを捨てた
自分の人生に対する情熱を捨てた
熱く生きることを捨てた
自分自身を生きることを捨てた
自分自身であることを捨てた
自分に正直であることを捨てた
自分を表現することを捨てた
「捨てるものが、まだある」と言われ、また黙想した。
道を捨てた
自分を捨てた
ここまで、黙想し、書き出したとき、
とても心が軽くなった
とても自由で、軽やかで、楽しくて
子供のようにわくわくしている
何も気にならない、気にしない
何にも縛られない、とらわれない
身軽に弾んでいる
焦りがなく、ゆったりとしているのに、
躍動するようなエネルギーが湧いてくる
無条件の自分の存在価値を知って
無条件の自分への信頼を得たいと
決意して、山瞑想会に参加したが、
いつのまにか、
「この道を生きたい」が、
「この道を生きなければならない」になっていたと気づいた
目から鱗だった
「自分を捨てた」ら
自分の存在価値なんて、関係なくなった
自信なんて、どうでも良くなった
自分を捨てたら
自分が見えた
★「介遊堂」の近くの民家の睡蓮
山瞑想会パート1では、人間関係(特に両親)に焦点を当てて、人間関係の中の出来事を見て、感じ(瞑想し)、書き出す作業をした。丸2日間、時間をかけて、じっくりと、自分と向き合うのは、なかなかいい。クリアしたと思っていたことでも、まだまだ残っていることもある。
父親との関係、母親との関係、子供との関係、他者との関係を見ていくと、両親との関係の中に「種」があって、両親との関係が、子供との関係や他者との関係に反映していることに気付く。
父親に暴力を振るわれて、私は、とても怖かったし哀しかったのに、息子にも同じことをしてしまった自分がいた。息子ともたくさんたくさん会話して、紙に書いた。
最後の瞑想では、宇宙という大きな船に、父も母も私も子供も夫も友人も、皆が乗っていると感じた。宇宙に生かされている、すべてをゆだねる、それを感じたとき、自分の罪悪感からも解放された。
山瞑想会パート1は、「父への感謝状」、「母への感謝状」、「子供への感謝状」、「自分への感謝状」を書いて、参加者の皆の前で読み上げて終わった。素直に感謝できる自分が嬉しかった。
★self buildの木の小屋「介遊堂」は、深い緑に包まれていた
★ベランダで、瞑想をするAさん
★ベランダの先には、朝もやの風景が広がる
★嬉々として、食事の準備をして下さったMさん。
ありがとう!美味しかったです。
★食事は、野菜たっぷりのぞうすい、つけもの、三つ葉と黄粉のサラダ、白菜&きゅうりのサラダ、モロヘイヤ&トマトサラダと茗荷を添えた豆腐などなど…
7月12日(土)~13日(日)に、老師の山瞑想会に参加した。
老師のself buildの木の小屋「介遊堂」は、深い緑に包まれていた。ベランダの先には、緑の木々と空が広がる。
参加者は、シリーズクラスに参加している4人、サポートに来て下さったMさん。老師を含めて、総勢6人。
山瞑想会パート1は、「マラーナサティー(死念)…死から、現在、過去を見る瞑想」
「無意識に沈んでいるものを意識化することが『受け入れる』ということ。今回は、さらに掘り進んで、無意識のさらに下にある『真我』に気付くこと(体感すること)が目的。掘る事が目的ではない。『真我』はすぐに体感できるが、自由に使いこなせる様になるには、時間が掛かる。」
今回のテーマは、「死念」ということで、死の床に就いた時に、二十歳までの両親との関係・出来事、それ以後の人間関係・出来事が、どんな風に見えるか、感じるかを、瞑想しながら、紙に書き出した。
「真我」などと言うと、とても大変な修行を積まないと分からないと思っている方が多いと思うが、自分の心と静かに向き合う時、心の奥底から突き上げて来るもので、自分の本音、本質、愛と言い換えることもできる。
父親とのことは、今まで何度も何度もテーマになって、自分としては、もうすっかりクリアしたと思っていたし、高校卒業後に家を出てからの苦しかった出来事があれこれ沢山出て来たので、そちらに焦点を当てて行こうと思った、が…
やっと家を出て、父親から自由になったと思ったのに、何故、色々なことをやればやるほど苦しくなったのか、もう一度じっくり見ると、父親との関係の中に「種」があった。
何故、そんなにも、色々がむしゃらにやって、自分を証明しなければならなかったか…
もっともっと甘えたかった
ベタベタに甘えたかった
もっともっと大切に大切にして欲しかった
一番大事にして欲しかった
もっともっと抱きしめて欲しかった
もっともっと温もりが欲しかった
もっともっと認めて欲しかった
いつもいつも目一杯愛情を注いで欲しかった
もっともっと愛が欲しかった
自分の気持ちを、父親との対話形式で、どんどん紙に書いて行く。
父親に言いたかったことが、どんどん出てくる。
心に詰まっていたものが、どんどん出てくる。
父親も苦しんでいた。
「でも、今なら受け止められる」と言った。
言いたかったことをとことん書き、受け止めてもらったら、
もう、大丈夫、ここから一人で歩いて行ける。
お父さん、ありがとう。
たくさんの涙とともに愛が溢れてきた。
「それが真我だ」と、牧野先生が言った。
何か、とても楽になった。
「もう、自分を証明するために頑張る必要はない」と、
心から思えた。
今まで、
自分を認めて欲しかったから、
自分を証明するために、
ジタバタ苦しんでいた自分がいた。
そこからやっと解放された。
悲痛な努力はしなくていい
自分が心底したいことをやる
努力から、「悲痛」が消えた
自分を認めてもらうため、
自分を証明するため、
今の自分は駄目だから変わるため、
努力をするわけではない
何故なら、私たちは完全だから
「完全から完全へ」の意味を込めたマントラ
Om Purnamadah Purnamidam
Punat Purnamudachyate
Purnasha Purnamadaya
Purnamevavasisyate
Om Santih Santih Santihi
それも、これも、完全です
完全なるものから、完全が生まれた
完全なるものから、完全なるものが生まれた後も
完全は、完全としてあります
(「我々は完全です」と言っているのと同じ意味)
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