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2007年6月

2007年6月28日 (木)

発見、解放、進歩

 前記の記事「南ア・北岳」は、山岳会の会報に掲載する為に書いたものなので、山に興味の無い人にとっては、読みにくかったと思います。

 南アルプス・北岳は、3,192mで、日本で富士山の次に高い山です。6月下旬頃に、北岳固有の「キタダケソウ」が咲きます。キタダケソウは、この時期にしか咲かない、北岳にしかない、可憐な白い花です。夏には見られません。この時期は、マイカー規制があり、車は途中の駐車場に止め、バスで登山口の広河原まで行かなければならないので、かなり不便です。

 今年は残雪が多く、あと一週間後くらいの方が見頃だったかも知れません。

 写真を載せたいのですが、私はカメラを忘れてしまい、他のメンバーがCDに焼いて送ってくれるとのことで、それを待っている所です。

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 今回の北岳は、久方ぶりの大きな山だった。昨年は1ヶ月に1回位のペースで、山に登っていたが、今年は、4月に御正体山1,682m5月に蒲生岳828m、浅草岳1,586m(ブナ平まで)に登ったくらいで、身体が慣れていなかったので、北岳の6時間の登り(しかも雪渓の登り)には、少々不安があったが、すばらしい景色と花に勇気付けられて、何とか歩き通せた。

 すばらしい景色と花については、前記の「南ア・北岳」に書いたとおり。やっぱり山はすばらしい。

 さて、それとは別に、私の左肩について書きたい。

 427日(金)に左肩を脱臼した直後は、自分の脱臼しやすい左肩に絶望し、「これさえなければ、何でも出来るのに…」と、左肩を排除することばかり考えていた。

 その後、個人セッションを受けたり、瞑想をしたり、自分の左肩と真剣に向き合った。そして、漸く自分の左肩を受け入れることが出来た。

 65日(火)のブログ「Paradox」でも書いたように、

私の左肩は、私の一部である

この左肩を含めて、全部で私

私の左肩は弱い(脱臼しやすく弱い)が、実は強い

強いは弱い、弱いは強い、パラドックス…

 自分の弱いと思っている所こそ多くのことを教えてくれるし、弱さを受け入れることこそが強さだと分かった。

 薬局にいらっしゃる患者さん達も、「これさえなければ、何でも出来るのに…」と言う。しかし、否定からは何も生まれない。

 私は、以前、沢で岩にぶつけて左肩を脱臼して以来、恐怖が強くなり、山の登り下りでは、身体に相当余分な力が入っていたが、今回は左肩があまり気にならなかった。左肩を受け入れられたからだ。

 ありのままの自分の状態を、そのまま否定せずに認めることで、新しい発見、解放、進歩があることを実感した山行だった。

2007年6月19日 (火)

静和漢方薬局 第3回 自分力研究会

Photo

★ばら一輪

(写真をクリックすると拡大します。)

 Rさんからは、「出版社との交渉は、うまく行かなかった点もいくつかあるけれど、気持ち良くできました。次回の自分力研究会で報告します」とのメールが来て、その報告を楽しみにしていたのだが、テレビの仕事が入って、Rさんは急遽欠席することになり、参加者は、Kさん一人、グループワークではなく、個人セッションになった。

 今日のKさんの顔は、何かイキイキとしている。Kさんに、「今日はイキイキとしていますね。教室は開いてみましたか?」と尋ねると、

 「宿題だった日本刺繍の教室はまだ開いていないのですが、その準備のために、自分でもう一度刺繍を始めてみたり、手芸教室をやっている友人や先輩のところに行って見て来たり、昔を思い出して、楽しかった」とのこと。

 「それは、良かったですね。Kさんは、今まで自分を抑えてきたけれど、元々はとても行動的な人だから、きっとすばらしい教室になりますよ。ところで、その教室で何を表現したいですか?以前Kさんがお話していたように、ただ刺繍を教えるだけではなく、本音で話しができる癒しの場となるような教室を、と考えているんですよね。」

 Kさんもいろいろな手芸教室を見てきて、結局は、手芸だけ教えていると自分が飽きてしまい、当然生徒さんにも飽きられてしまうと言う事が良く分かっていた。

 「Kさん独自の教室を創ったらいいです。そこで大切になるのが、自分は、そこで何を表現したいのか、何を生徒さん達に伝えたいのかということです。何を表現したいですか?」

 「今まであった苦しかった事、悲しかった事、それらはすべて必要な経験だったと思える様になった。だから、不登校やギャンブル依存症で苦しんでいる人、色々なことで苦しんでいる人に、大丈夫といってあげたい」とKさん。

 「そうですよね。その思いは、Kさんの深い愛だと思いますよ。だから、Kさんは、深い愛を表現したいということだと思いますよ。」

 あれこれお話するうちに、まだ家族との関係で、解決していない部分があるために、先に進めないでいることが分かったので、私も、今、直面している自分の問題を話した。

 「すべて解決しないと何も出来ないわけではないですよ。事実、私も娘との真剣勝負を今、している。自分が本当にこうしたいと思うことをやるその過程で、解決していないものは、解決して行けばいいんです。家族との問題は一番難しい、真剣勝負ですから。いずれ一番良い時期が来ますよ。Kさんの準備が出来た時に。それまでは、自分がこうしたいと思うことを進めて行ったらいいです。何も心配する事は無いですよ。」

 Kさんが、新しい一歩を踏み出すことにエールを送りたいと思ったので、最後は、気持ちの良い音楽を流しながら、エネルギーを流した。

 「あなたのこれまでの人生は、すべて自分にとって必要な経験であったことを、あなたは深いところで理解しています。そして、その経験を生かし、自分の愛を表現するために、今、あなたは、新しい一歩を踏み出そうとしています。あなたは、自分の魂が本当に望むことを実行する力があると知っています。」言葉が、自然に私の口から溢れた。

 今、Kさんは、毎日、半身浴をしながら、自分の気持ちをノートに書いているという。Kさんは日々自分と真剣に向き合っている、そのKさんの努力が、Kさんをここまで変化させ、自分らしく自分を表現できるようになって来た。さらに、教室を実現させて行けば、自分の表現の場が広がって、さらに彼女は自分らしく輝くだろう。とても楽しみだ。

 「静和漢方薬局 第3回 自分力研究会」は、個人セッションのようになってしまったが、兎に角続ける事で、私自身も良い経験を積ませてもらっている。ありがとうございましたKさん。

2007年6月15日 (金)

後日談

20070519

★庭に咲いた薄紫のばら

(クリックすると拡大します。)

 個人セッションの翌日、友人に電話をした。

 「『苦しむ事が目的ではない』と分かって、少し楽になった。これを毎日少しずつ自分に言い聞かせてみるよ。それから、自分は何も分かっていなかったということが分かった」と、彼女。

 「私は、毎月1回、計6回ミッチー先生の個人セッションを受けたけど、その時は良く分からなかった。月2回気功教室や坂下塾に出るようになって、去年あたりから、やっと少しずつ分かって来て、変化してきた。だから1回で全部分かって、直ぐに大きく変わることはないと思う。何らかの種が蒔かれて、それが少しずつ成長するような感じの変化だと思うよ」と、私。

 そんなやり取りの後、彼女が言った。

 「ミッチー先生って、カリスマ性があるわけでもなく、カッコイイわけでもなく、ほんとに普通の人だよね。ものすごいカリスマ性があるとか、カッコイイとか、芳醇な熟成した感じの人だったら、こちらも構えてしまって、普通に話ができなかったらどうしようと思っていたけど、ほんと水のような人で良かった。それから、自分を少しも認めてもらおうなんて気がないよね…云々」

 私は、これを聞いて、「多少なりとも自分をカッコイイと思っているであろうミッチー先生がこれを聞いたら何て言うだろうか」と思ったら、電話口でゲラゲラ笑ってしまった。

 しかし、クライアントを緊張させないキャラも大切だし、「水のような人」とは、ある意味、的を得ているかもしれない。セッションの形は変幻自在に変化するが、自分自身の本質は変化することはなく、あるがまま、うーん確かに水だ。人に自分を認めさせようなどとは、思っていないことも、すばらしい。彼女の率直な感想は、最大の褒め言葉だった。

 「ミッチー先生を妄信するようなことにはならない?」と彼女が言った時、私は、以下のような話をした。

 「以前に話したことがあると思うけど、非常に知的でカリスマ的なリーゼンフーバー神父(上智大学教授)から洗礼を受ける時、『この人は私を指導してくれるけれども、私を救ってくれるわけではない、自分でやるしかない』と何故か悟った。

 その時悟った事は、私の人生のすべての場面で応用できる事で、例えば、漢方の師匠に付いた時も、師匠の意見を聞かなければ自分の選薬に自信が持てなくなってしまいそうな状態になった時があった。その時から私は、むしろ漢方の師匠の勉強会に出るのを止めた。自分の責任で選薬することが大切だと思ったからね。

 それから、カリスマ性のあるヨガの先生に付いた時も、決して妄信にはならなかった。一つのものを築きあげると、そこからさらに発展・成長する事は偉大な先生でもなかなか難しい。いや、偉大になればなるほど、自分の型を破るのは難しくなる。確かにスゴイ先生だったけれども、自分の築き挙げたものに固執し始めたときに離れた。

 ミッチー先生は、自分らしく生きることのすばらしさを教えてくれた。自分は自分であって、自分以外の何者にもなる必要はない。今、私は、飽くまでも自分が自分である事、自分に正直に生きることを実践しているのであって、基準は、自分の本質だから、ミッチー先生を妄信しているわけではないよ。

 もし、ミッチー先生が、自分が築きあげたところに満足してそこに留まるようなら、そこで終わる。『これでいいと言う地点はない。生きている限り進化発展していく、何故なら、止まったら、途端に腐り始めるから』と、先生自身も言っているし…

 自分を生きるって、何かマニアルがあるわけでもないし、自分で見つけていくしかないから、生きている限り大変だよね。」

 彼女とのやり取りの中で、人生は悲しみに満ちているし、自分を生きることは大変だけれど、「自分を感じ自分を生きることで、その悲しみの中にも喜びや愛を感じることができる幸せ」を、しみじみと感じていた。

2007年6月14日 (木)

今の自分で何も間違っていないⅡ

20070606

★庭に咲いた白い紫陽花

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 セッションの中で、こんな話も出て、思わぬ気付きもあった。

 周囲の人達がリウマチの標準治療(鎮痛消炎剤、ステロイド剤、抗リウマチ剤、免疫抑制剤など)を勧める中で、彼女は自分の意思に従って、ステロイドを減量中止し、鎮痛消炎剤も必要最小限にし、私が処方する漢方薬を服用している。

 私に電話をしてきた時点で、漢方薬を服用すること、服用する漢方薬については、私に一任する事を決めていたと言う。私に甘えたい気持ちもあったと言う。

 彼女は、高校の同級生で同じ年だが、長女で気質的に「お姉さん」だった。一方私は、次女で末っ子気質なので、彼女が肉体的にも精神的にも弱っていたために、「甘えたかった」とは、気付かなかった。

 また、彼女が、全面的に私に信頼を寄せて漢方薬を頼んできたにも関わらず、私は、「自分の選択で決めてね。気を使わずに、止めたくなったら、いつでも止めても良いよ」的なことを言ったらしく、彼女はそれにも腹を立てていた。

 「その時、私の中で、何かが音を立てて壊れた。でも、それは、結果的に良かった」と彼女が言った。

 彼女がこんなにも自分を信頼してくれていたこと、辛さの中で私に甘えたかったことを知り、私は、嬉しいような、悲しいような、何とも言えない気持ちになった。

 人は、孤独だ。自分の人生は自分で生きるしかない。誰も代わることはできない。何とも、悲しい。でも、そんな中にも、信頼し合える関係がある。何とも嬉しい。嬉しいような、悲しいような、言葉で言い表せないような気持ちで胸が一杯になった。

 「最近は、身体が痛いと言っているから、無理して動かないようにしたら、痛みに関しては、楽になった。ところが、ヘルパーさんや、周囲の人が、『動かさないと動けなくなるから、医者に行ってきちんと治療した方が良い』とうるさく言うので、つい心が揺らいでしまう。心配して言ってくれるのは分かるけれど、私の体の事は、最終的には私しか責任が取れないのに、何故そこまで、介入してくるのか…。でも、最近は、その人達を説得する必要はないと分かった。自分さえ、きちんと自分の選択したことに納得していれば良いと思える様になった。」

 潔い選択をした彼女を、精一杯応援したい。

今の自分で何も間違っていないⅠ

200705222

★庭に咲いた白いバラ

(写真をクリックすると拡大します。)

 高校の同級生だったHちゃんの個人セッションのために、ミッチー先生と車で栃木に向かった。田園風景の中をのんびりと走る車、スピーカーから流れてくる吉田拓郎の唄、高校時代にタイムスリップするかのようだった。

 「今日のテーマは、『今の自分で何も間違っていない』ということです」とミッチー先生が言った。

 「リウマチになって苦しい。しかし、苦しみが目的ではない、苦しみを通してしか分からないことがあるから、あなたの魂が了解して、今、経験している。

 リウマチになった、これに良い悪いの判断はない。精神世界では、痛みは、エネルギーの摩擦、抵抗によって起こると言われている、判断しなければ、摩擦・抵抗は起こらなくなる。『判断しないようにと意識する』と、なかなか判断から抜けられないので、『判断をしている自分を意識する』と、何時の間にか判断しなくなる。良い悪いの判断をしなくなると、色々な束縛から自由になれる。

 人とは違う自分のあり方、この自分、今の自分に絶対的な価値を見出す事が出来たら、何も怖くないし、どんな状況にあっても、『幸せ』を感じることが出来る。『幸せ』は、感じるものであって、状況には関係が無い。」

 ミッチー先生のセッションを聞きながら、昨日の娘のセッションを思い出していた。ミッチー先生が、娘のYにエネルギーを流している時に、「Yは、自分の人生を一歩一歩、確実に歩んでいる。何も心配することは無い」と心が言っていたが、「Hちゃんも自分の人生を一歩一歩確実に歩んでいる、何も間違っていない」と確信した。

 リウマチという、他の人とは違う状態は、この世の価値観から見ると、「不幸」だ。しかし、見えるものに惑わされず、本質を見ていくとき、彼女は、自分の人生を確実に歩んでいる、何も間違ってはいない、その気付きこそが、幸せの入り口になる。

 「今まで、自分が何か悪い事をしたから、こんなに苦しいのかと思っていた。幾ら考えても、こんなに苦しい思いをしなければならないほど悪い事はしていないのにと、辛かった。そう、『苦しみが目的ではない』、このことを自分に少しずつ言い聞かせてみるよ」と彼女は言った。

 彼女が自分の絶対的な価値に気付き、彼女の能力が花開く事を信じ、楽しみに待っていたい。

2007年6月12日 (火)

真剣勝負

20070612

★天珠の文様(単眼山水)を彫った水晶天珠ブレスレット

 ブルーの石は、マリンブルーカルセドニーです。

 見かけの爽やかさとは裏腹に、テーマは「真剣勝負」

 (写真をクリックすると拡大します。)

 610日(日)に、娘のYがミッチー先生の個人セッションを受けた。

 Yは21歳。目下の表面上の死にそうな悩みは、「瞼が二重でない事」や「失恋」だが、自分の深いところでは、誰かが真剣に自分と向き合ってくれる事で、自分の絶対的な存在価値を確かめようとしている。

 年齢がYより一つだけ上の彼氏は、自分の事だけでもう精一杯で、お互いが真剣に向き合い自分の絶対的な存在価値を知るには、若すぎて無理だったようだ。結果、彼は身を引いた。現在も友人でいるようだが、同じくらいの年では求めても無理だろう。

 Yと真剣に向き合うのは、母親である私しかいない。

 Yと向かい合って座った時に、溢れる想いと涙と共に「とても大事。Yがとても大事。とてもYが愛おしい。愛している」と言葉が口を突いて出てきた。

 ここに存在しているそのままで、Yがとても大切で、愛おしい。Yが自分の絶対的な存在価値に気付くのは、まだまだ先のことかもしれない。でも母親である私にとっては、今ここに存在している、それだけでYがとても大切で愛おしい。「あなたは、今ここに存在している、ただそれだけで、絶対的に価値がある」ということを、Yに真剣に伝えたい。

 Yと向き合う事は、私にとって真剣勝負だ。マニアルがあるわけではない。今、この時、この瞬間、自分の存在をかけて、真剣に向き合うしかない。

 Yの個人セッションに引き続き、私のブレスレットをミッチー先生に作成してもらった。水晶天珠、フロスティクォーツ、マリンブルーカルセドニーなどを使った一見爽やかなイメージのブレスレットのテーマは、何と「真剣勝負」。

 ブレスレットをした左手から流れてくる強烈なエネルギーに身が引き締まる思いがした。

2007年6月 5日 (火)

美事

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★庭に咲いたグラハムトーマス。

黄金色の花が溢れるほど沢山咲きました。

(写真をクリックすると拡大します。)

 63日(日)午後の「坂下塾」で、植物になるワークを行った。

 私は、ゴールデンウィークに登った奥会津・浅草岳のブナ平で見たブナの大木「マザーツリー」をイメージした。ブナの生命エネルギーに感応し、燃え上がるような生命の息吹きに触れ、私の身体は今しも燃え上がるかのように熱くなった。

 ブナの木はそこに居てじっと動かない。「そこにある」ただそれだけだが、内側ではダイナミックなエネルギーの流れがある。じっとそこにある「静」と、ダイナミックなエネルギーの流れ「動」。「静」と「動」、相反するものが、見事にひとつになって、そこに存在する、それが命。美事だ。(広辞苑を見ますと、見事は美事とも書きます。当て字のようですが、言い得て妙です。)

 人間も同じだ。「ただここに存在している」それだけで、すばらしい。美事だ。

 それなのに、人間は、自分の存在を証明しようと足掻いてしまう。

 苦しい苦しいとKさんは言う。苦しみを手放してしまったら、自分の存在が証明できなくなってしまうかのように、苦しみを吐露するKさん。あーとことん、苦しみを味わい、どん底まで行かなかったら気付かないのか、これもKさんの魂が望んでいるのか…。

 Kさんばかりではない。「自分の存在証明として苦しみを手放すことが出来ない人」は、この世には沢山いる。勿体無いことだ。何も自分の存在を証明する必要などない、ここに存在するだけですばらしい命を持っているのに…。

Paradox

20070522

★庭に咲いたオールドローズ。とても優雅な香りがします。

(クリックすると拡大します。)

 

63日(日)の気功教室。瞑想中のイメージを断片的に文章にしてみる。

自分が自分である事

どこまでいっても自分は自分である、それ故に皆と繋がっている

自分が自分であるからこそ、自分は全体の一部である

私の左肩は、私の一部である

この左肩を含めて、全部で私

私の左肩は弱い(脱臼しやすく弱い)が、実は強い

強いは弱い、弱いは強い、パラドックス…

私の左肩は、エネルギーの源となり、

沢山のエネルギーが左肩から放出され、

そのエネルギーの流れと共に、

いつしか私は、深い海の底のような穏やかな空間にいた。

そこには、沢山の輝く石のようなものがあり、

それは、人の命の源だった。

お互いが輝きを放ち、大きなエネルギーで満ちていた。

自分自身が輝くと共に、

私は、周囲の大きなエネルギーに抱かれていた。

これは、瞑想中の私のイメージなので、箇条書きにしたら、「なんのこっちゃ?!」という感じだが、魂は、理解した。個と全体、弱さと強さ、愛。頭で理解するより、もっと鮮明に。

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フォト

FILM写真

  • 20130910200010028
    2011年5月21日(土)「LEICA M6」 を購入。その後「ROLLEICORD Ⅴ」、「LEICA Ⅲf」、「LEICA M3」を購入。フィルム写真を楽しんでいます。COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

Kiss my worldー風景&HANAー

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    「Lumix LX1」、「EOS Kiss X3」、「EOS 5DMⅡ」、「EOS 7D」で、切り取った風景、花。 COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

Kiss my world -定春&豆子-

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    我が家のチワワ定春(♂)&豆子(♀)の写真 COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

粘土細工

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    こどもの頃のどろだんご作りを思い出しながら、アニメーション粘土を使って作りました。COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.
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