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2007年5月

2007年5月22日 (火)

静和漢方薬局 第2回 自分力研究会

20070522_004★我が家の庭に遊びに来たメジロ

 (写真をクリックすると拡大します。)

 

 416日(月)の「第1回・自分力研究会」は、散々だった。ミッチー先生とは、キャリアも能力も違うし、同じように出来るはずがないのに、ミッチー先生のようにやろうとして、全く自分を見失ってしまった。

 そんなわけで、521()の「第2回・自分力研究会」は、「自分であること」に拘った。カヨちゃんのサポートも今回はお願いせずに、自分ひとりでやることにした。ミッチー先生から、エッセンスは学び取っても、自分には自分のやり方があるし、自分は自分以外の者になることはできない。今は、拙くても、時間を掛けて自分のやり方を構築していくしかない。

 自分は、この自分力研究会を通して、何を伝えたいのかをじっくり考えてみた。それが、前日520日(日)の坂下塾での学びを通して明確になった。

 「何者にもなる必要のない自分。自分を許した時にそうなる。自分を証明する必要はない」、「人生のどの場面でも、自分が自分であることに真剣になる」など、ミッチー先生のお話を聞きながら、「そうだ、私もそう生きたい。そして、その生き方を伝えたい」と思った。

 今生は、自分の表現の場である。仕事ばかりではなく、生きることそのものが、すべて自分の表現である。自分を正直に表現出来た時、最高に充実した人生になる。これを伝えたい。自分ではない自分になろうとするから苦しくなる。自分はどこまで行っても自分であって、他の何者にもなる必要はない。

 「第2回・自分力研究会」は、突っ込みが不十分ではあったが、何よりも自分が自分である事に拘り、自分らしくできたと思う。突っ込みが足りなかった点は、これから、少しずつ技術を磨いていけばいい。時間がなくなってしまい、シュミレーションなどの実際の訓練が出来なかったが、参加したお二人の方には、宿題を出して、実生活の中で、訓練して頂く事にした。

 フラワー・デザイナーのRさんには、「この仕事を通して何を表現したいか」を自分の中で明確にすることを宿題にした。自分の表現したい事が明確になれば、自分の表現の結果である自分の仕事の価値を人に委ねるのではなく、自分で決めることが出来る。そうすれば、大手出版社とも臆することなく、対等に交渉できるようになる。

 また、自分の表現したい事が明確になれば、量をこなさなくても、自分が本当にやりたい質の良い仕事を選んですることが出来るようになる。

 

 Kさんには、自分の中にある怒りを良く見て受け入れることと、自己表現の場所として、日本刺繍の教室を始めてみることを宿題にした。Kさんは、以前から日本刺繍の教室を開きたいと言っていた。それもただの日本刺繍の教室ではなく、癒しの場となるような日本刺繍の教室を開きたいとのこと。そこで、まずは、あれこれ考えていないで、まず第一歩を踏み出してみることをお勧めし、それを宿題にした。

 次回618日(月)の自分力研究会でのRさん、Kさんの報告が楽しみだ。

身体の役割

20070522_010

 

★我が家の庭に咲いたバラ

 (クリックすると拡大します。)

 520日(日)、気功教室に参加した。脱臼した左肩は、痛みはないが、まだ恐怖が抜けきらず、真上まで上がらない。

 「動かせない部分はイメージでやって」とミッチー先生に言われて、やってみたが、イメージで身体を動かし、目に見えない気の流れを感じ取ることは、なかなか難しく、身体の役割が良く分かった。

 身体を使って気功の型をやることで、目に見えない「エネルギーの流れ」や、「エネルギーの運用」を、イメージしやすくしている。自在にエネルギーを運用できれば、それを癒しの仕事や自分の生活の中に活かして行くことができる。

 左肩の脱臼で身体の自由を封じられたが、それは、目に見えない、より本質的なものを知る為だった。また、それと同時に、時には病気もするし怪我もする不便さはあるが、身体は、目に見えない本質を表現するための、とてもしなやかなすばらしい道具であることにも気付いた。「見えるもの」と「見えないもの」の両方からできている人間ってすばらしい!

2007年5月18日 (金)

本質を常に意識する

 ブログを更新しないうちに早1ヶ月以上経ってしまった。

 ここ何ヶ月かの間、転換期を迎えていることに気付いてはいたが、最近の1ヶ月は最終通告の時であったようだ。

 折りしも、Sヨガスタジオは、ゴールデンウィークにイタリアから著名な大先生を迎えてワークショップを開催するために、それに向かって、スタジオ全体が大きなエネルギーの渦に飲み込まれるかのように、いつもにも益して熱心なレッスンが行われていた。

 私も、200410月7日に左肩を脱臼してから、2年半が経ち、身体も戻って来ていたので、仕事、ヨガ、気功、登山と、「さーてこれから、どんどんやるぞ!」と、意気込んでいた。

 そして、427日(金)のヨガの最中に、また左肩を脱臼した。

 激しい痛みと共に、絶望感と悲しみが襲ってきた。すべてが終わりだと思った。

 しばらくは、恐怖と絶望感と悲しみで、身体から力が抜けず、苦しかった。それでも、5月の連休中は、無理やり彼方此方に出かけて、気を紛らわした。

 510日(木)、M先生の瞑想会で、「真我に出会う」瞑想をしたときの事、「怖がらなくてもいい、絶望することも、悲しむこともない」との自分の心の声を聞いて、涙が溢れた。

 「あーそうだ、そういうことだったのか」と、何故自分がまたもや脱臼したか、頭ではなく魂が理解した。

 左肩の脱臼癖さえ無ければ、これさえ無ければ、ヨガも、気功も、登山も、自分の思う存分出来るのに、こんなに直ぐに脱臼してしまうようでは、何も出来ないと、短絡的になって絶望し悲しんでいたが、それは、「本質を見失った自分」が絶望し悲しんでいただけだった。

 ヨガのポーズがうまくなる、気功の型がうまくなる、頻繁に山に登る事で登山の技術や体力が向上するなど、目に見える形は、とても分かりやすい。頑張れば自分が向上したようにも思えるので、ついそこに目が行ってしまって、さらに夢中になって頑張る。

 一方、本質は、目に見えにくく、いつも注意深く意識を集中していなければ、何時の間にか見失う。左肩の脱臼は、本質を見失っていた私を、激しい痛みと共に、目覚めさせてくれた。

 自分のたましいが本当に目指していることは、ヨガのポーズがうまくなる事でも、気功の型がうまくなる事でも、四六時中登山をする事でもない。ヨガも、気功も、登山も、自分の本質を見失っては意味が無い。これらは、自分の本質を発揮する為の道具にしか過ぎない。

 自分のたましいが本当に目指していることは、自分の本質を追及し、自分の本質そのものを生きること。

 これと連動して、自分の仕事である「本質的な癒しを追求する薬局」も、一般の薬局、薬剤師の範疇を遥かに超えている。

 「この仕事は、片手間ではできないよ。命がけだよ」と、いつもミッチー先生は言う。自分が生きることと直結しているから、自分の人生すべてをかけて行く、つまり、「命がけ」だ。

 本質は、目に見えないので、うっかりすると見失う。いつも本質をきちんと見据えて生きていくために、私は、脱臼の激しい痛みと共に、「本質を常に意識する」ことを深く心に刻み込んだ。

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フォト

FILM写真

  • 20130910200010028
    2011年5月21日(土)「LEICA M6」 を購入。その後「ROLLEICORD Ⅴ」、「LEICA Ⅲf」、「LEICA M3」を購入。フィルム写真を楽しんでいます。COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

Kiss my worldー風景&HANAー

  • 2014_11_27_eos5dm2_
    「Lumix LX1」、「EOS Kiss X3」、「EOS 5DMⅡ」、「EOS 7D」で、切り取った風景、花。 COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

Kiss my world -定春&豆子-

  • 2013_10_07_eos5dm2_08
    我が家のチワワ定春(♂)&豆子(♀)の写真 COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

粘土細工

  • 2013061213_2
    こどもの頃のどろだんご作りを思い出しながら、アニメーション粘土を使って作りました。COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.
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