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2006年9月

2006年9月27日 (水)

チワワが我が家にやって来た!

20060927__1  不思議な縁で、チワワ♂を飼う事になった。

(左の写真をクリックすると拡大して見られます)

 918日(月)にガンの患者学研究所のインストラクターの仕事が桜木町であった。仕事が終了した後、海を見ようと思い、馬車道を散歩していたら、向こうからチワワの親子を連れた男性がやってきて、何やら張り紙をしている。

 「チワワの子犬譲ります」との張り紙を見て、話を聞いたら、ペットショップでは誰に飼われるか分からないので、大切に飼ってくれる人に3万円で直接譲りたいとのこと。不思議な縁を感じてしまい、譲っていただくことにした。

 ゲージなど必要な物を用意して、925日(月)に引き取りに行った。

 夜は少し泣いていたようだが、子犬はすぐに馴れた。3ヶ月なので、とても小さく、脚は小枝のように細い。喜びを体中で表現する姿がめちゃくちゃ可愛い。素直に自分の感情を表現し、ありのままにそこに存在する姿には本当に癒される。

 名前は、「定春(さだはる)」

★ちなみに、少年ジャンプ連載「銀魂」に登場するチャイナ娘、神楽ちゃんの大切にしている宇宙犬が定春と言います。

★時々薬局にいることもあります。皆さん見に来てください。癒されますよ!

2006年9月24日 (日)

思い込み

 23日(土)の午後は、ミッチー先生とナオちゃんは個人ワーク。ヒサヨちゃんは、ワークのサポートに入っていた。

 私は、手持無沙汰で、テレビを見たり、散歩したりして過ごしていた。一人取り残されたような寂しさを抱えながら、「何のために自分は今回出張ワークに同行したのか」と、ぼんやりと考えていた。

 そうこうするうちに、夕方になり、クラッシックコンサートに誘われ、コンサートに行く事になった。コンサート自体はすばらしかったのだが、私の中には何か腑に落ちないものが残った。

 帰りの車中で、23日は何か一人取り残されたような気分だったことを話したら、何とミッチー先生が「実は、あの時、モモちゃんにサポートに入ってもらうか、ヒサヨに入ってもらうか、考えていた。ちょうどその時、モモちゃんがコンサートに行くと言うので、ヒサヨにサポートに入ってもらった。もし、モモちゃんがサポートに入りたいと言ったら、モモちゃんに頼んだと思う」と言うではないか。

 結局、「自分は薬剤師であって、職業ヒーラーではない」という自分の思い込みによって、折角のチャンスを逃していたのだ。何とも口惜しい事をした。私のたましいは、サポートに入り、そこで学ぶ事を貪欲に望んでいた。それを抑えていたので、今こんなにも口惜しいと感じているのだ。

 薬剤師であろうが、職業ヒーラーであろうが、所詮職業など人間社会上の分類であって、自分が目指すことの中には本来分類など存在しないはずなのに、自分で自分を縛っていた。これも今回の学びのうちの一つなのだろう。

 こころが納得していない時は「自分は本当はどうしたいのか」を徹底的に観ていくことの大切さを心に焼き付けた出来事だった。

 次からは決してチャンスを逃さないぞ!

2006年9月23日 (土)

○も×もない

 922日(金)~24日(日)は、ミッチー先生、なおちゃん、ひさよちゃんと共に、ミッチー先生の出張に同行。

 22日の夜、両親との問題で悩んでいるCさんの話を聞きながら、今までワーク中に起こった様々なことが一つに繋がった。

 現実に起こってくることはすべて自分の反映で、周囲の人間は自分の姿を見せてくれる鏡であり、特に親は一番の鏡であること。

 私も、父の中に自分を観、自分の中に父を観ていた。

 赦せなかった父の暴力も抑圧も、何時の間にか、子供に同じようにしていた自分がいた。

 自分の中にも父と同じ要素があり、それを認めて受け入れることが、父を赦し受け入れることに繋がる。「自分の中にも父と同じ要素があると認め赦す事」これこそ暴力と抑圧から解放される道なのだと気付かされた。

 Cさんが今両親の中に見ているものも自分の反映であり、自分の姿である。Cさんがこのことに気付いて、自分の中にも同じ要素があると認め、それを赦す事で、問題は問題ではなくなる。

 親の中に見えるものに反発し、否定し続けているうちは、何の気付きもないし、気付くまで形を変えて色々なことが起こってくる。

 ミッチー先生は、こんな例えで話してくれた。

 「自分の中の○が×を否定すると、×は外から人を介して×を引き寄せる。ところが自分の中の×を認め受け入れると、○も×も無くなり、周囲との対立も無くなる。

 否定(切り離された部分)は、認め受け入れること(融合)によって、否定ではなくなる。○も×もない、良いも悪いもない、まるごと自分と分かると、急速に自由になっていく。」

 私は、ミッチー先生の話を聞きながら、以前友人のSさんが話してくれた「良いも悪いも無い。対立の無いのが宇宙意識だよ」との言葉を改めて思い出していた。

2006年9月17日 (日)

生と死

 2年前に亡くなった父の思いを知ることが出来た時、生も死もないと感じた。

 死は別れが辛く悲しいけれど、死自体は悪いものではないかもしれない…

 生と死の境界線もそれほど明確なものではないかもしれない…

 などなど、私の中には不思議な感覚が残った。

 また、ひとつ、二元性がはずれた。

思いを受け止め、思いを知る

 今日の気功教室後のワークでは、人の思いを受け止めることで、亡き父の思いを知る事ができた。

 私は、どこかでKさんの思いをシャットアウトしていた。素直にKさんの温かい思いを受け止めたとき、深く私のことを心に留め思いを寄せてくれている事に、素直に感謝できた。

 その後、2年前に亡くなった「父の思い」を、ひさよちゃんがチャネリングしてくれた。

 私の胸を貫くような温かいエネルギーが流れ、父の思いが伝わってきた。

 「始めは、躾と思っていたが、そのうち意地になり、暴力を止められなかった。悪いと感じながら、プライドがあって謝れなかった。本当にごめんな。お前は私の大切な娘だ。お前がすばらしい仲間たちとがんばっている姿を見てとてもうれしい」と父。

 暴力を振るった事を謝ってほしいとずっと思っていたので、この父の謝罪の言葉を聞いて、父の深い愛を感じ、私は号泣した。

 「お父さん、大好きだよ」と、私は「私の愛」を父に伝えた。

 人の思いを受け止めることが出来た時、父の思いを知る事が出来た。

 私は、またひとつ解放され自由になった。

2006年9月13日 (水)

静和漢方薬局・第1回・自分力教室

 911日(月)に、ミッチー先生(坂下宏光氏)をお招きして、静和漢方薬局・第1回・自分力教室を開催した。参加人数は、4人、私とミッチー先生を含めて6人、こじんまりとした会だったが、なかなか充実した会だった。

 「病気を治すこと」は目的には成り得ないことを知った今、私の仕事は、「自分の本質とつながり、自分のこころに正直に生きる」を皆さんに知らせることに焦点が移ってきた。自分のこころに正直に生きる事で、より自分らしく輝く事ができる、そんな人生をぜひ生きて欲しい。

 そこで、第1回・自分力教室の開催となった。これから毎月1回の開催を予定している。

 漢方薬は、ある時は気血を補い、ある時は気・血・水のバランスを整えるすばらしいアイテムだ。しかし、こころの深いところからの叫びによって起きている病気の場合は、その叫びをきちんと自分自身で受け止める必要がある。

 長い間、感情を押し込め、見ないようにして生きていると、何時の間にか自分が何を感じているか分からなくなってしまう。そして、心を無視して、頭で考えて行動するうちに、心と自分の生き方は益々乖離してしまう。すると「置き去りにされた心」の叫びは、強いストレスや身体の不調などとして表われてくる。

 初日の今日は、自分の感じていることを知ることから始まった。深い悲しみを感じているTさん、でも娘さんの前だったから泣けなかった。初対面の人達の前で、いきなり自分の感情を出すのも難しいだろう。でも、ミッチー先生がエネルギーを送っていたので、きっと次回までには何かが変わっているだろう。

 Tさんの娘さんは18歳。不登校で来局したころからもう6年になるが、すばらしく成長した。まだまだこれからぐんぐん伸びる。

 花や小物のデザインのお仕事をしているRさんも、すばらしく個性的なものを持っていながら、周囲の軋轢で、まだそれが充分に発揮できず、強いストレスを感じては、体調を崩していた。きっと自分力教室に参加し回を重ねるごとに、もっと自由になっていくだろう。

 漫画家のAさんも、とても独創的な女性だ。自分の心に目を向けることで、もっともっと独創性が発揮されて、すてきな作品が書けるだろう。

 参加した皆さんも、「4,000円では安い!とても価値ある時間だった」、「思い切って、参加して良かった」などなど、とても喜んで下さり、私もうれしかった。

 これから自分力教室が二回目、三回目と回を重ねるごとに、皆さんが変わっていくのがとても楽しみだ。

 会が終了し、薬局を閉めて、ミッチー先生と荻窪駅に向かって歩いている時、何故か私はとても幸せな気分だった。

★初回でミッチー先生も緊張したらしいが、とても良い充実した時間だった。お陰さまで、やっと第一歩が踏み出せました。ありがとうミッチー先生。

2006年9月12日 (火)

見つめる先は

 「病気は、メッセージだ」と以前書いたが、そうだとすれば、「病気は、治すものではない」ということになる。

 「病気は、気付きを待っている」とすれば、気付けば、必要が無くなり、何時の間にか治っているということになる。順序は、飽くまでも、「気付きが先で、治るのは後」。(「気付きと同時に治る」ということもあるが…)

 「病気を治すこと」それ自体が目的になってしまうと、病気からのメッセージに気付くことも、メッセージを受け取って進歩することもなく、幾ら努力しても病気は本当には治らない。すぐに、また新たに別な形で現れてくる。

 治そうと思っているうちは、「病気は悪いものだから治す」との概念から離れられず、病気の中にあるメッセージに気付くどころか、病気を押さえ込む事しか考えなくなる。

 病気を受け入れ、そこに含まれるメッセージをしっかり受け止めることで、病気である必要が無くなり、自然に病気は治る。

 「メッセージを受け止める」とはどういうことかというと、逃げずに自分の心ときちんと向き合うことだ。自分の心の叫びをきちんと受け止めることだ。見たくない認めたくない自分も認め、赦し、受け入れることだ。そこから、きっとすばらしい気付きがある。

 リウマチの友人は、今、日々自分と向き合っている。電話で話すたびに一山も二山も越えて、声が次第に明るくしっかりしてくるのを感じている。

 私も、今まで、仕事上「治す」ことばかり考えていた。「病気を治すこと」それ自体が目的にならないように自らを戒めよう。見つめる先が間違っていては、泥沼に嵌る。

 見つめる先は、本当の自分、本質としっかり繋がった自分だ。

2006年9月 6日 (水)

愛と赦し

 19歳の時に一緒に洗礼を受けた友人(現在リウマチのために私の薬局の漢方薬を服用中)と電話で話すうちに、洗礼を受けたことで、楽になるどころか、精神的自由がなくなり、苦痛が益々増大したことを昨日のことのように思い出した。あの頃は、自己卑下と自己否定が信仰だと思い込まされていた。徹底的に自我を否定することこそが信仰であるかのように錯覚していた。

 キリストは私の罪のために十字架につけられたと言うけれど、今は、「自分の見たくない真実」を十字架につけたのだと感じている。

 キリストは、律法の本質を見失い形骸化してしまったユダヤ教の実態を見抜き、真実をユダヤ人に突きつけ、神の本質は愛と赦しであることを人々に伝えた。キリストは、人々に真実を突きつけた故に、十字架につけられた。

 自分の見たくない真実を認め、赦し、受け入れることは、そこに愛がなければできないことだ。そう、愛と赦しは表裏一体だ。

 自己卑下や自己否定からは何も生まれない。自分の見たくない自分も認め、赦し、受け入れることで、自由になれる、本質(真理、宇宙、神と呼ばれるもの)と繋がる事ができる、自分の中にある愛を知る事が出来る。

 どこまでも自分を赦し、深く自分を愛することこそが、本質と繋がることだと理解できた今、どんどんと自由になって行く自分を感じている。

 友人もどんどん進化している。驚くほどの成長と進化だ。リウマチが治る日もそう遠くはない。

2006年9月 5日 (火)

恐怖

 94日(日)、気功教室後、例のごとく私の薬局で、白熱するワークが始まった。

 いつも理屈でのらりくらりとかわして自分の中に押し込めた感情を見ようとしないOさんが、今日は、やっと自分のなかにある激しい怒りを認めた。新聞紙を丸めて作った棒で、何度も何度も雑誌を思いっきり叩いて、押し込めてきた怒りを発散させるOさん。

 怒声とともに出てきたOさんの感情は、本当に激しい怒りだった。自分に対する怒り、父親に対する怒り、そして集合意識としての怒り。すべての怒りを体現するかのような激しい怒りだった。

 私は、そこに居るのが怖くて逃げ出したくなった。これを書いている今でも、その時の激しい怒りを思い出すと恐怖で心が慄く。

 私の父親も激しい怒りにまかせて、暴力を振るった。それをまた目の前で再現されているような感覚で、私は恐怖に慄き、恐ろしくて、涙が出た。私は幼い頃こんなにも恐怖を感じていたのだ。書いている今も怖い。

 ミッチー先生が、ワークのために、「Oさんの前に座って」と言った時も、私は、「怖いからイヤだ」と泣きじゃくりながら答えた。

 その後、父親をイメージしたり、怒りを体現したOさんが、シュミレーションで私に謝ったりのワークがあったが、未だに私の中の恐怖は消えない。

 このワークの意味を知るにはまだ時間が掛かりそうだ。

2006年9月 1日 (金)

能力

 昨日リウマチの友人と電話で話したときのこと。

 リウマチの痛みのために動けない状態でいるにもかかわらず、何故か彼女の元には、話を聞いてもらいたい人達が集まってくる。ちょっとした知り合いはもとより、姑から、保険の外交員、果ては彼女の身の回りの世話をするヘルパーさんまでが、自分の話を聞いてもらいたくて、あれこれ話をするそうだ。リウマチで動けず、自分の事で精一杯の彼女にとってはたいへんな重労働だ。

 「なかなか一人でゆっくりする時間が持てない。色々な人が話しに来るので、傍から見たら、友達が多くていいねと言われるけど、話をしている本人には本質的なところが見えていなくて、表面的な愚痴に終わる人が大半で、それを聞くのはとても苦痛だ。どこか、人と余り係わらなくて済むような所で、一人でゆっくり過ごしたい」と彼女は言う。

 昔から、彼女のそばには話をしたい人が沢山集まってきていた。私も10年ほど前の悩みの渦中にいた時は、毎日のように電話をして話を聞いてもらった。彼女は、人が「話を聞いてもらいたい」、「この胸のうちのどうにもならない思いを聞いてもらいたい」と思うような能力を生まれながらに持っている。

 「そんな能力はいらない。カウンセラーなんかになりたくない。土と花、自然に囲まれてゆっくり過ごしたい」と彼女。

 自然に囲まれて過ごしたくても、たった一人で暮らすわけには行かないから、何処へ行こうと人との係わりは出来てくる。自分の持っている本当は宝物である「能力」が彼女を苦しめているのか、いやそうではない。能力を活かし切れてないから、苦しいのだ。

 彼女には、人の話を聞いて、本質を見抜く力がある、それを的確に表現する力もある。きちんと本質を見抜いて、的確に相手に伝える事で、ただの愚痴を聞くことからは解放されるし、本質を真剣に見ようとする人は解決策を見出し、本質を見ようとしない人は自然に離れて行く。

 どうやら、彼女が自分の能力をきちんと受け入れていないことで、問題は生じているようだ。人は心のモヤモヤ(焦燥感、不安感、怒り、悲しみなど潜在意識から突き上げてくるもの)をどうしたら良いか分からず、誰かに話を聞いてもらいたいと思う。その「人の心のモヤモヤ」を背負ってしまったために彼女はリウマチになったと言っても過言ではない。

 「良い子になるのは止めた」と彼女は言った。

 そう、本人にとってきつい言葉でも、はっきりと本質を伝えなければならない。彼女なら出来るはずだ。彼女は気付いていないが、あーやっぱり、彼女の魂が自分の能力の開花を望んでいるんだと私は思った。

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フォト

FILM写真

  • 20130910200010028
    2011年5月21日(土)「LEICA M6」 を購入。その後「ROLLEICORD Ⅴ」、「LEICA Ⅲf」、「LEICA M3」を購入。フィルム写真を楽しんでいます。COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

Kiss my worldー風景&HANAー

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    「Lumix LX1」、「EOS Kiss X3」、「EOS 5DMⅡ」、「EOS 7D」で、切り取った風景、花。 COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

Kiss my world -定春&豆子-

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    我が家のチワワ定春(♂)&豆子(♀)の写真 COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.

粘土細工

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    こどもの頃のどろだんご作りを思い出しながら、アニメーション粘土を使って作りました。COPYRIGHT(C) 2000-2016 香花橘時鳥 ALL RIGHTS RESERVED.
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