4月28日(金)~5月4日(木)まで、四国高松の薬局の「ヒーリングルーム完成祝い」のため、ミッチー先生とナオちゃんと一緒に車で旅に出た。
4月28日(金)は、東京を午前9時半ころ出発、車は東名高速をスムーズに進み、暗くならないうちに淡路島に入り、暮れなずむ海が美しく感動した。さて、これから何が起こるやら、期待を胸に橋を通過した。
ミッチー先生やナオちゃんは、ワークというお仕事があるが、私は特に予定もなく、一体何のために行くのかな?と心の片隅では感じながらも、一緒に高松に行くことに違和感はなかった。あまり深く考えずにのんびり過ごそうと、思っていた。
ところが、ところが、いやー濃厚な日々でした。
高松の薬局のママやまつげちゃんファミリーに大歓迎を受けて、まつげちゃんのだんなさまトモシーには、BMWの大型バイクの後ろに乗せてもらい、久しぶりのツーリングを楽しませてもらった。
ミッチー先生の気功教室やグループワークも絶好調!グループワークで初対面の人に対して「相手の良いところを感じて3つ言ってみて」と言われた時には、どうすればよいか分からなかったが、感覚を集中していったら、言葉が浮かんできた。
「あなたには行動力があります」「あなたには大きな愛があります」「あなたはそれを表現する力があります」3つ目を言った時にエネルギーがバッと入ってくるのを感じた。
ナオちゃんの過去世ワークも受けて、ナオちゃんともいろいろお話が出来て良かった。一年間気功教室で一緒だったが、じっくり二人で話す事は今までなかったので、ナオちゃんととても近づいた感じがした。
しかし、5月1日(月)の晩、ふとしたことで、ミッチー先生と諍いを起こし、それを切っ掛けに感情の放出が始まり、もう止められなかった。
以前、胸のチャクラに気のボールを当てた時には、胸には硬い塊があって、その時は、いくらやっても硬く閉じたままだったが、この日は、胸のチャクラからたくさんの光が放出してくるような感じで、止めどなく涙が溢れ、一晩中涙が止まらなかった。
しかし、それは悲しみに沈むのとは正反対で、感情を放出する事で自分自身の人生(自分自身)を許し受け入れるという感覚で、涙が溢れていても不思議と心が満たされて行くのを感じた。
その後、感情の放出は、高松にいる間ずっと続いていた。
5月3日(水)は、本当は帰る日だったが、運転手のミッチー先生が風邪でダウンしたので、まつげちゃんファミリーと一緒に小豆島に行った。
行き帰りのフェリーのデッキでは、潮風と光を受けながら至福の時間を持った。トモシーが一人寂しく見える私を心配してくれたが、私は一人でいたかった。私は充分、海を、風を、光を、堪能して至福の時間を過ごしていた。
東京への帰りの車で、ミッチー先生に「今回の高松行きはどうだった?」と聞かれた。私は、「癒しの旅」だった、と答えた。
ただ、私がもっと解放される為には、父との間の問題を受け入れなければ先に進めない。
私の父は、2年前に亡くなったが、厳格で厳しく、言う事を聞かせるためには暴力も振るう人だった。姉と違って、抑圧される事に反抗的な私はいつも暴力を受けた。早く家を出たかった。高校を卒業して、大学入学のため東京に来た時は、家を出られたこと、父から離れたことがうれしくて、うれしくて仕方なかった。
しかし、家を出て父から離れたところで、自分の心は父から受けた抑圧的な教育のお陰で、心までががんじがらめで、場所が変わっても心が解放される事はなかった。
この父との問題を乗り越えなければ、本当の自由はない。
ミッチー先生には、「お父さんを否定していたら何時までたっても解放はないよ。自分が前世で、自分のお父さんの父親で、お父さんに暴力を振るったと感じてみて、そうしたらどうする?連鎖を断ち切る為には、暴力を振るったお父さんも全部ありのまま受け入れるしかないんだよ。」
ナオちゃんを横浜でおろしてから、荻窪駅に着くまでの1時間くらいの間だったが、高松行きの「締めのワーク」だった。
今まで何となく付き合い難さを感じていたし、何となく反発する、引っ掛かる、などなど数多くあったが、今回の高松行きを通して、ミッチー先生のとっても深い愛を感じた。
ありがとうミッチー先生!
ありがとうナオちゃん!
ありがとう、高松のママ、まつげちゃん、トモシー!
そう、ここで忘れてならないのが、ナオちゃんの過去世メッセージ。
この旅のメッセージとして、最後に書いておこう。
Dear Shizuko
雨の中、風の中、必死に戦ってきました。
自分の欲しい物を得るために。
自分の孤独をまぎらわすために。
しかし、気づいてほしいのです。
あなたのそばにそれがすでにあることを。
許してほしいのです。
あなたがあなたであることを。
From Nao
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